福井の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

福井県福井市歴史探訪
福井市の概要・歩み
福井市は、明治22年に市制が定められてから、北陸における主要都市となっています。
その発展の足どりは、九頭竜、足羽、日野の三大河川の扇状地として福井平野に発達してきました。福井平野は、今から3000年程前の縄文時代後期から晩期にかけて、弥生時代にはすでに、農耕可能な平野になっていたといわれています。それは河川活動によって形成されたといわれる沖積平野からであるといわれています。また、約1500年程前には、この地に生をうけた継体天皇の治山治水事業によって、一面の沼地が豊かな沃野に生まれかわったともいわれています。その後、文化の発達にともなって地勢的関係から、北陸道の要衝として栄えるようになりました。

福井に市制が定められて以来、鉄道の開通や織物産業等の興隆によって、政冶、経済、文化の福井県における中心都市となり、隣接町村等の編入もあって、北陸における主要都市となっています。
昭和20年7月の空襲、昭和23年の福井大震災と再度にわたって全市が壊滅し致命的な打撃を受け、さらに水害、風害と幾多の災害に見舞われましたが、市民の不屈の復興への意欲により、これを乗り越え、昭和43年には第23回福井国体の成功し、また戦災復興土地区画整理事業の完成等、今日の『不死鳥のまち福井』を築き上げてきました。
そして平成元年には市制100周年を迎え、この間国際化社会に対応すべく、海外3市と姉妹、友好都市を提携し、国際交流を図るとともに「しあわせな明日への生活づくり」「安全で快適な環境づくり」「心のふれあいと人づくり」の3つを市政推進の柱として「住みたくなるまち」の建設をめざし、さらに大躍進を期しています。

福井の名前の由来
この地名のいわれは、織田信長の重臣・柴田勝家が築城した「北ノ庄城」の歴史からなるものです。本能寺の変が起こったとき、上杉の攻撃をおそれた勝家は、出立をちゅうちょして秀吉に戦功をゆずることになりました。 関ケ原の戦いの後、北ノ庄に封ぜられたのは、徳川家康の第二子であった結城秀康で、文武を愛した名君でしたが、弟である二代将軍秀忠に従うのを嫌ったため、暗殺されたともいわれています。後を継いだ藩主・松平忠直は名高い暴君で、その乱行ぶりは、後に菊池寛が小説「忠直卿行状記」に描いたことでよく知られています。城主・松平忠昌は、二代にわたる城主の不幸を悲しみ、「北ノ庄」の北は「敗北」に通じるとして、「福居城」と改名。これが現在の「福井」の地名の由来となっているようです。


福井の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 福井県立歴史博物館
住所: 〒910-0016
福井県福井市大宮2丁目19-15 [地図を見る]
電話番号: 0776-22-4675
開館時間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日、年末年始(12/28 〜1/4 )
子供の日、文化の日を除く国民の祝日
入館料: 大人 100円(団体 80円)
小・中・高校生 無料







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